悪魔との契約と身体への異変
馬鹿は風邪ひかないという胡散臭い諸説がありますが
その理論でいくと、かのガリレオ・ガリレイ、アルベルト・アインシュタイン、福沢諭吉など
彼らの活躍がなければ、世界の発展は数十年、数百年の遅れをとっていたかもしれない稀代の知識人に、私も仲間入りするのではないか
と錯覚するほどに頻繁に体調を崩しています。
しかしこの男、知識人どころか、本を読んだことがない猿であります。ただの体の弱い猿であります。
特に20歳を超えてから、大学の課題などで半強制的に読まざるを得ない機会を除いて、本当に本を手に取ったことがありませんでした。
ただ一つ主張したいのは、本か〜読まなきゃな〜と言いつつ、だらだら毎日をなんとなく過ごして本を読まなかったのでなく
絶対に本は読まねぇ!と頑なに拒絶していたからです。
本に書いてあることって嘘や自分にとって意味無い"会ったことすらない誰かの主観"をはらんでる、なら本って読む意味なくね?って本気で思ってたからです。
例えば、とある旅の本にチェコのプラハは世界一美しい街と書いてあるらしいのですが
僕も実際数日前にプラハに行ってみて
綺麗だけど世界一美しいとは思いませんでした。
ディズニーランドやんというのが、僕のプラハでの第一声でした。
そもそも世界一って表現ほど胡散臭い言葉はありません。
それより自分が実際行ってみてやってみて、脳に伝達した感情は嘘じゃないから、それを信じてみようって思ってました。
やはりこの男、机上の論争如きでは、己の価値観を曲げぬ芯の強い性格
もしくは手の施しようない阿呆であった。
そんな僕にここ数ヶ月"人生変えるほどの出会い"がいくつかありました。
旅をしていると、宿などで僕と同じように世界を旅してる人たちに会います。彼らがどういった理由旅してるとか、どんなルートで周遊してるなんてプライベートには一切興味も湧きませんが
旅人は行動力の塊みたいな奴ばっかです。行動力がある奴は"自己制御の仕方を知らないDQN"か"思考力が常人を遥かに上回った賢人"の二種類が多いです。その性質にはとても興味を持ちました。
後者に値する
こんなすごいオッサンになりたい
こいつ歳下なのにすごい
みたいなのに会うと
認めたくないが、絵も料理も英語もカメラもたいして上手くもないと自覚しながらも、たいして努力もしてない僕は、そりゃもう劣等感や焦燥感を感じちゃうわけです。
しかし、それ以上に強烈な憧れを感じます。
自分を変えたいから旅に出たというより
むしろ自分を変えられたくないから、好きなことしてやろうとしていました
そうゆうのカッコよくない?
漫画の主人公っぽくね?
と、ぬかしてた自分にバケツいっぱいのキンキンに冷えきった冷水を脳内でかけてやりました。
すげーとか言ってる場合じゃない。こうゆう風になりたいんだ僕は。考えねば、何か行動に出ねば。
彼らと自分の決定的な違いは何か
低姿勢になって、考えたとき
割と簡単に答えは出ました。
知識の量ではないか?
よし、本読もう。もっと人の話も貧欲に聞こう。
急に面倒くさくなってドラマチックなテイストをやめて、安っぽくなりましたが
本を読むのなんて、人にとっては普通なことでも、僕にとっては、結構決心するのが難しい相談でした。
旅を出た辺りからでしょうか?
どれだけ遠くへ行っても行っても、消えないモヤモヤがいつも僕の後頭部の上んとこくらいにありました。
きっと世界一周すれは何か変わると思ってました。
あの頃と一緒です。
きっと大学へ行けば何か変わる
きっと留学すれば何か変わる
環境や意識より、変えなくちゃいけないのは行動や習慣なのに。
重い腰をあげた瞬間でした。
それからというものこの1週間
と東欧を北上しながら周遊してますが、ほとんど観光もせず、ずっと本をずっと読んでいました。興味の出たものにベクトル全部固定するのは僕の良いところであり、悪いところでもあるという自覚は少なからずあります。
まぁそうゆういつも全力なところ好きよと、いとこの姉ちゃんには子供の頃から言われていました。
故にこの1週間ブログに書けそうなことなんて起きるわけもなく、更新してませんでした。
でもそうゆうマイペースなところが可愛いと近所のおばちゃんには子供の頃から言われていました。てへ。すいません。殺して下さい。
明日からイタリアです。
それでは。